東アジア経済経営学会 設立趣意書

戦後の東アジアの経済発展動態は1950年代の日本の高度成長を契機に、60年代後半には韓国、台湾、香港、シンガポールの小規模な開放経済が発展してきた。70年代には二度の石油ショックを経験し、世界経済が低成長に向かう中、これら東アジア諸国は高度成長を維持し続けた。この様を世界銀行は「東アジアの奇跡」と呼んだ。

また、この間1952年に日華平和条約調印で日本と台湾(中華民国)との国交が回復し、1965年の日韓国交正常化、72年には日中国交回復など日本と東アジアとの交流も急速に深まり、これに伴って各分野における学問的関心も高まり、多くの研究が生まれ、同時に研究団体の数も増大してきた。特に、植民地研究から発展した経済発展論や開発経済学など新領域分野、国際経営学、文化人類学や旧来の二重構造論的アプローチなど多くの分野から東アジア諸国の発展にメスが入れられた。

しかしながら、地域研究の多くはその地域に共通する現象に焦点があてられることが多いという特徴があるものの、発展する東アジア地域の深層に迫るためには、個々の国々が持つ独自的背景に迫ることが求められよう。例えば、OECDの『新興工業国の挑戦』(1979年) では、開発途上国として認知されている諸国の工業発展に着目し、外向きの工業化政の採用政策、工業部門の雇用水準拡大、製品輸出における市場シェア拡大、一人当り実質国民所得の先進国との相対的格差縮小などの項目で新興工業国を認定し、アジアでは韓国、台湾、香港、シンガポールがその序列に加わった。

1970年代の2度の石油危機により、戦後の世界的回復と世界経済の急成長が停滞する中の高成長諸国・地域として注目されたものの、こうした経済的な発展指標の背景には、言うまでもなく、個々の経済政策、政権の制度的・政策的寄与、企業構造の在り方、国民性などの個別独自性に支えられるものであり、地域的研究がここまでは迫っているとは言い難い。

こうした研究関心を踏まえて、我々は、個別の国をより深く研究する目的で、歴史的関係が深く、戦後の成長著しい韓国および東アジアを対象とし、かつ同じ視点に立つ韓国の研究者と協力する前提で、研究組織を創設する。本年(1985年)は、奇しくも「日韓国交正常化」20周年にあたり、この機を得たことも我々の研究組織の立ち上げにとってひとつの励みとなり、今後の20年を眺望した研究活動のよい機会となろう。将来的には学会組織を見据えた団体として「日韓経済経営会議」を創設して、国内外の研究者を募る予定である。当面の活動として、毎年韓国の「韓日経商学会」との協力で国際学術大会を開催し、日本と韓国の研究交流や人的交流を目的とする。

【学会沿革】 

東アジア経済経営学会は、その前身である「日韓経済経営会議」が、日韓国交回復20周年にあたる1985年に創立された。その契機となったのは、1985年5月11日、韓国の中央大学で日本側研究者と韓国側研究者(韓日経商学会)との間で開催された日韓経済経営国際学術会議である。これを第1回目の会議として、翌年、第2回が日本で開催された。これを開催するにあたり、日本側の受入れ組織を、前年委員会として立ち上げた日韓経済経営会議をそのまま踏襲し、日本での日韓国際会議の実施母体としての役割を果たすことになった。こうして日韓経済経営国際学術会議は、韓国側の「韓日経商学会」の研究者と日本側の「日韓経済経営会議」に参加する研究者達が日韓の経済経営に関して研究交流をするとともに、人的交流をも重視する会議として誕生し、以来、年1回、日本と韓国の間で交互に会議を開催してきた。

【主要年表】

1985年5月 韓国韓日経商学会の「韓日国交正常化20周年記念事業:韓日経商学シンポジウム」に日本人学者16名参加(第1回日韓経済経営国際学術会議:経済経営問題比較研究-韓日の経営文化・企業集団・総合商社-)

1987年   日韓経済経営会議 日本委員会創設

1995年   第10回日韓経済経営国際学術会議開催 (新潟大学:21世紀のアジア)

1997年8月 東アジア経済経営学会として改組

2005年8月 第20回日韓経済経営国際学術会議開催(二松学舎大学:東アジア共同体に

向かう課題)

2005年   研究例会開始

2008年11月 『東アジア経済経営学会誌』創刊号発刊

2009年   学会のウエブサイトを開設(現在新規再建中)

2011年  第26回日韓経済経営国際学術会議中止(東日本大震災のため)

2015年4月 日韓国交正常化50周年記念シンポジウム開催

8月 第30回日韓経済経営国際学術会議開催

(金沢大学:日韓30年の回顧と展望―日韓の経済発展と要因)

2020年  第35回日韓経済経営国際学術会議中止(新型コロナウイルスパンデミックのため)